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2005.03.20

方天戟のごとく

たまには本でも。
北方謙三の「三国志」からの話

北方「三国志」では、大物小物をとわず男たちはそれぞれの胸に志と夢をいだいて、歴史をいきぬきます。そこには「三国志演義」をベースにした勧善懲悪の世界とは違う男達がいます。

張飛の繊細、劉備の凶暴、孟獲の人望、孫権の臆病、そして、呂布奉先の誇り。

三国志演技系の作品ではすべて、呂布は猿回しの猿のごとき書き方をされています。むやみと強いが頭はからっぽで、なんなく美女貂蝉にたらしこまれ、愚かさゆえにみじめな最後をとげます。

一方、北方三国志での呂布は、誇り高い戦士であり、ひたすら戦場をもとめる武神として描かれています。丁原と董卓を倒したのも、欲に目がくらんだのではなく、二人が武神にふさわしい戦いの場を与えようとしなかったからでした。したがって、そこには貂蝉が存在する余地はありません。
独立勢力となってからの呂布は、まさに中華最強の武人として存在し、三国志は呂布を中心にまわっていきます。しかし、呂布は、優れた軍師陳宮を手にいれ天下をうかがえたにもかかわらず、なんの野心も欲ももたず、ただ戦いをもとめ誇り高い武人として生き抜きます。曹操すら絶望するほどの生涯無敗の武神として。

「頼む、呂布殿、私に降伏してくれ」
(略)
「やめろ曹操。男には守らなければならないものがあるのだ」
「なんなのだ、それは」
「誇り」
「おぬしの誇りとは?」
「敗れざる事」
(「三国志  三の巻」 (ハルキ文庫)から引用)

武神の死は、戦闘での敗北のためではなく、友である陳宮の危機を救おうとすることによって訪れます。

北方三国志では、ある期間まちがいなく呂布が主人公ですし、私にとっても最も印象に残った存在です。呂布の死を暗示する場面で、不覚にも涙しました。

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