2004.11.12

週末用の疑問

最近の疑問

  「神聖ローマ帝国ってつまりなにさ?」
  「古代ローマ帝国に、「皇帝」って言葉はあったのか?」
  「フランク王国とフランス王国の関係は?」

週末の時間つぶしにこんな事についてつらつら考えます。図書館いって調べたりもするから、趣味といえば趣味でしょうか。分かったからといって、何にもなりませんし。


神聖ローマ帝国末期には、「神聖でもなくローマ的でもなく、帝国ですらなかった」といわれたりしてます。じゃなにさ。

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2004.08.21

ロバート・ザ・ブルース?

イングランドに比べると、スコットランド王国の歴史を調べるのは簡単ではありません。日本で手に入る分かりやすい資料があんまりないからです。

手元に、英国でかったRobert the Bruceについての小冊子があります。Robert the Bruceはイングランドのスコットランド侵略に抵抗し、最終的にスコットランドに平和をもたらした人気の高いスコットランド王です。映画「ブレーブ・ハート」にも出てきてますね。

たぶん英国の子供向けの本で、写真も多く説明も簡単です。でも、地名や人名の背景知識がないので、よんでもぴんときません。有名な英雄や伝説は詳しい説明なしででてきますから、ちょっときびしいんです。戦国の話をするときに、織田信長がどんな人かあまり詳しく説明しないようなものでしょうか。

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2004.08.14

女王様はエリザベス何世?

豆知識はつづくぞ。

プロゴルフの選手だったか、名前に二世、三世、とついている人がいました。たぶん一族の中で同じ名前が何人かいるからでしょうが、国王になるとすこし事情がかわります。

たとえば、チューダー朝の祖ヘンリー七世は、即位するまではただのヘンリー・チューダーで、国王に即位したときに、ヘンリーの名前をもつ七番目の国王としてヘンリー七世になります。だから、ときおり奇妙な事がおきます。イングランド王国スチュワート朝の祖ジェームス1世は、イングランド国王即位前にすでにスコットランド国王ジェームス6世でした。スコットランド王国にはジェームス王が何人もいたけれど、イングランド王国では最初のジェームス王だったからこういう事になります。ひとりの人物が一世であり六世でもあります。

さて、エリザベス女王。
エリザベス女王はイングランド女王に即位し、二人目のエリザベスとしてエリザベス二世となりました。同時にスコットランド王国女王に即位しましたが、スコットランド王国の歴史にエリザベスという王はいませんので、スコットランド女王エリザベス一世となります。ですが実際には常にエリザベス二世としかよばれないようで、一部のスコットランド独立派の人たちはそれを不快に思っている、と聞いた事があります。

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2004.07.21

ヘンリー七世をワイ川の水で洗ってみる。

ミルワード先生の言葉を紹介したとき、はじめは「ウェールズ人」がなんの事かわかりませんでした。でも時期的にはチューダー朝なので、ちょっとしらべてみたら、チューダー朝の祖ヘンリー7世の出身家系であるチューダー家は、ケルト系ウェールズ人の血筋みたいです。しらなかった。

たしかに、ヘンリー・チューダー(後のヘンリー7世)が、プランタジネットのリチャード三世と対決するため亡命先から帰国したとき、まずウェールズに上陸して勢力を拡大しています。地盤があったという事でしょう。


どこまでつづくのか、イングランド史の豆知識。

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2004.07.19

ミルワード先生はこう言う

イングランド人はややこしいイングランドの歴史をどう思っているのでしょう。

イングランド人であるピーター・ミルワード先生の本から。

「実際、イングランドはそのときからずっと外国人によって支配されている。最初はノルマン人、次に、フランス人、それからウェールズ人、それからスコットランド人、それからオランダ人、それからドイツ人である。」

「童話の国イギリス」   ピーター・ミルワード   中公新書1610


たしかに、私自身の体験として、イングランド人の友人が「エリザベス女王はドイツ人だから。」といったのを聞いた事があります。また、「日本では外国人が天皇になった事はないのか。」と聞かれた事もあります。


ちなみに、ミルワード先生の文章での「そのとき」とは、1066年のウィリアム征服王によるイングランド征服の事。で、ミルワード先生が具体的に書いてくれなかったらよくはわからないのだけれど、「ノルマン人」はウィリアム征服王以降のノルマン朝、「フランス人」はプランタジネット朝、「ウェールズ人」はチューダー朝、「スコットランド人」はスチュワート朝、「オランダ人」は名誉革命で即位したウィリアムの事、「ドイツ人」はハノーバー朝、じゃないかと思います。たぶん。
ハノーバー朝が現ウインザー朝王室につながっています。

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2004.07.06

まだまだ続くまめ知識

前に、「Dane人(バイキングのこと)」と書きました。それの補足。

Dane人とVikingの関係は、実は私にはよくわかりません。英国の入手した本ですら、本によって少し説明が違うからです。

「Englandに攻めてきた」のは、The Danes and The Vikingsであったり、The Danes or The Vikingsであったりします。
あるいは、「北欧からきたThe Vikingsと、DenmarkからきたThe Danes」であったり「The Vikingsのうち、DenmarkからきたのがThe Denes」であったりします。

まともと思える本では、デーン人とバイキングを同じとしている事が多いようなので、そうなのだと今は思っています。

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2004.07.04

英国史のまめ知識ふたたび

英国史で誤解していた話ふたたび。

英国の王家の歴史を、1066年のウイリアム一世によるイングランド征服から書き始める本があります。土着のアングロサクソン王朝の終焉、フランス系ノルマン王朝の誕生です。なので、その後のフランス系英国王家はノルマン朝のながれなのだとばかりと思っていました。シェークスピアの「ヘンリー5世」のなかでも、フランス貴族がEngland人をあなどって「ノルマン人の私生児」とよぶシーンがありますし。

でもちょっとちがいました。
プランタジネット朝はノルマン朝の継承者ではなく、ノルマン朝を武力で打倒して王冠を得ています。ノルマン朝は1154年の最後の王Stephan王の死によって約90年で終焉し、プランタジネットのアンジュー侯爵ヘンリー二世が英国国王に即位します。ノルマン朝とプランタジネット朝には結婚による血縁関係があるというものの、敵対する勢力であり、やはり英国外勢力による征服、王朝の交替といえます。プランタジネット朝はその後約300年つづきますが、1485年Bosworthの戦いにやぶれた事で、やはり事実上血縁のないチューダー朝にとって変わられます。

王国としては連続しているので、王家も連続しているような錯覚をもってしまいますが、その王朝交替時の王位継承の理屈は日本人には理解しにくいものです。むしろ古代中国のように、異なる王国がつぎつぎと交替していったとみるほうが事実にちかいかもしれません。

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2004.07.03

英仏百年戦争

英国の歴史に興味があって、あれこれ調べています。
なんでもそうですが、調べ始めると結構いろいろ面白い事がみつかります。更新でジョン王の事を書いていて、ちょっと書きたくなりました。

有名な英仏百年戦争。
あれ、英仏2大王国が百年間戦った戦争だと思っていたのですが、どうもそうではないのです。たしかに、戦っていたのはEngland王家プランタジネットとフランス王家ですから、間違いではありません。しかし、England王家プランタジネットは、同時に、フランス国王の臣下でありかつフランスで最大の勢力を誇っていたアンジュー家の当主でもありました。ただし、プランタジネットの勢力の中心はアンジューにあり、Englandは勢力拡大の過程で得た植民地にすぎません。事実、プランタジネットの初期のEngland王はアンジュー地方に葬られていますし、Englandにほとんどいった事のないEngland王もいたようです。つまり初期の英仏百年戦争とは、フランスの2大勢力が南西フランスの支配権をかけて戦ったものというのが実情のようで、たまたま片方の勢力がEngland王もかねていた、という事じゃないかと思います。

結局、ジョン王の時代にプランタジネットはフランス本領をすべてうしなってしまい、その後は単に英国王家として歩む事になります。以前からの疑問として、領土を失った王はほかにいくらもいるのに、なぜジョン王だけが「失地王」と不名誉な名でよばれるのが不思議だったのですが、これでやっと理解できました。ジョン王が失ったのは、単なる領土ではなく父祖伝来の土地、プランタジネット発祥の地であり、彼の手にのこったのはかつての辺境の植民地Englandだけだったからです。植民地経営に気をとられているうちに本土を奪われた無能な王、といった事でしょうか。

この後プランタジネットは、ヘンリー五世の時代にフランスでの権利を一時回復しますが、結局、ブリテン島を支配する王家へと収束していきます。

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